こんにちは!看護師カメラマンのyumiです。
みなさんいかがお過ごしですか?
私は、4月から看護師になり、もうすぐ2ヶ月が経ちます。
学生時代の実習よりも出来ることが増えてやりがいを感じつつ、社会人として様々な壁にぶつかって苦しんでもいます。
(絶賛五月病なのかもしれません笑)
医路とりどり第4回は、看護×グラフィックデザインの分野で活躍されている、とおやま たかしさんにお話を伺いました。
今回のインタビューでは、視界が滲むこともありました。
文字起こしをしている時も、何度もとおやまさんの言葉が心に沁みて救われるような思いでした。
辛かったことを思い出して言葉にするのは、負担がかかることです。
それでも、とおやまさんが辛かったことも含めて赤裸々に語ってくれたのは、看護学生・看護師への優しい気持ちがあるからだと思いました。
デザインの世界に興味がある方はもちろん、病院での実習・勤務で悩んでいる方にもぜひ読んでいただけたらと思います。
もくじ
1.プロフィール
2.看護師を目指したきっかけ
3.看護師 → うつ病になるまでのお話
4.うつ病になった頃のお話
5.新たな病気 → 一般病棟勤務 → 病院退職までのお話
6.今のお仕事について
7.「俺の仕事全部看護」
8.看護学生へのメッセージ
青森県出身
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高校卒業後、医療短大に進み、看護師になる
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大学病院に就職
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NICU病棟勤務5年
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ICU病棟勤務3年
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NICU病棟勤務
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整形外科病棟勤務
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大学病院を退職
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看護×デザイン事務の「and.NURSING.」を立ち上げ、活動中。
ハゲかっこいいを発信するメディア #NOHAIRS のライターや #ハゲアート も手がける。
2.看護師を目指したきっかけ
高校2年生までは進路が定まっていませんでした。
たまたま進路相談室で看護系のパンフレットを見て、直感的に「看護師っていいな」って思ったんです。
もともと人のお世話をすることは好きでしたし、「満員電車やスーツは嫌だなぁ」と言う思いもあって(笑)
それで看護師を目指しました。
高校卒業後は、東海大学医療技術短期大学に進学し、看護師資格を取得して、東海大学医学部付属病院に就職しました。最初はNICUに入りました。
3.看護師→うつ病になるまでのお話
ー大学病院・NICUを選んだ理由は何ですか?
大学病院を選んだのは、大きくて全科があるからというのと、当時は大学病院がイケイケでいいじゃん!って思っていたからなんですよね(笑)
NICUを選んだのは、実習の時に自然分娩を見させてもらって感動したからです。
お産の1週間前から担当して妊婦さんと信頼関係を築きました。
お腹の中の赤ちゃんは、動いてるとか心音があるとかは分かるけれど、あまり実感がわかないことですよね。でも、その分娩後、もう目の前に人として存在している赤ちゃんを見たときに、とんでもない感動が湧き上がってきました。「人が生まれるって素晴らしい。人を生む行為って素晴らしいな」って思ったので、周産期に関わりたいと思ったんです。
ーNICUの看護の特徴を教えてください!
NICUの看護は非言語的な看護がすごく多いんですよ。特に新生児に対してはね。お母さんやその他のご家族には言語的なアプローチがすごく必要にもなるけれど、赤ちゃんには特に非言語的なアプローチがとっても大切。どれだけ五感を研ぎ澄ませて赤ちゃんのニーズを吸収するか、ですね。だからそれをやっているNICUの看護師がめちゃめちゃカッコ良くて、「ああ、俺看護ってこういうことだと思う」みたいなことを学生の時に思い、NICUを希望しました。
NICUで5年間働き続けたころ、「新生児も好きだけど挑戦しなきゃな」と思い、集中治療室で大人の集中治療を学びたいと思って異動したんです。ICUでは3年働きました。ある程度チームリーダーとかもやらせてもらったり、シフトリーダーをとったりできるようになりました。そうしてICUの一般的な管理を任せてもらえるようになった頃に、もう一度新生児に今戻ってみてできることがあるかも、と思ってNICUに戻りました。しかし、その戻ってからのギャップが凄く辛かったんですよね。
ー「ギャップ」というのは…?
はい。ICUからNICUに戻った時のモチベーションの差や、コミュニケーションの取りづらさ、NICU独特の風通しの悪さみたいなものがあることに気づきました。
特に東海のICUは当時関係もすごくよくってイケイケムードだったんです。「どんどん看護を良くしていこうぜ」という感じに。そのICUの文化をNICUに持って行きたいなみたいな気持ちがありました。
しかし、当時のNICUはその変化を望んでいませんでした。
病棟の文化や風潮は、その時々の看護師長や、リーダーシップをとる人によって変わります。だから、NICUっていうものが悪かったのではなく、組織はその時そういう風潮だったんだと思います。
「こういうところが悪いからもっとこうした方がいい」「新しい文献見つけたきたからみんなで読んだら良い」と、ICUの文化をNICUに持ち込もうとして、すごく雰囲気読めない感じになってしまいました。
結局、口では良い看護をするためだって言っていたけれど、よくよく思うとただ僕が思うようにやりたかったという感じが少し強かった。あの時は成長していなくて、そこまで気づけていなかったんですよね。僕は文化のギャップを自分の中でうまく合わせる事ができなくなってしまった。自分自身を追い込んでしまって、関係性も悪くなってそのままうつ病になりました。
4.うつ病になった頃のお話
職場が居づらくなってしまって、すごく息苦しくなって、なんかもう1年目さんにも気を使うような感じに。その頃、出産も重なってより家が忙しくなって、全部にあっぷあっぷになってしまいました。
精神科に行ったら、「もう明日から仕事は休んでくださいね。診断書を書きますね。」と言ってくれました。ほっとして家に帰宅して、嫁さんに「実は今心療内科行ってきて」と言ったらもう涙が止まらなくなりました。すごく辛いんだっていうことを話したら、嫁さんが抱きしめてくれて、「もういいよもう行かなくていいよ」って言ってくれてそれで半年くらい休みました。
5.新たな病気→一般病棟勤務→病院退職までのお話
半年も休んでいるとさすがにちょっと元気になってくるんですよね。でも、ある時、喉元に違和感を覚えました。ごくっと唾を飲み込もうとしたら、飲み込めなかったんです。ピンポン玉くらいのしこりが触れてました。
僕が行った内科では、院長が、自分の健康のためにずっとバランスボールでポヨンポヨンしながら話すような人でした。
検査後、診察室に入ったら、先生はポヨンポヨンしながら「あっこれ悪性腫瘍だと思うから」「後、どうする?自分の病院で」「あと先生に自分で言う?」と言いました。今思ってもショックな告知でした(笑)僕が医療者だから、丁寧に言わなくても分かるでしょみたいな雰囲気があったのかもしれませんね。
実は、僕のルーツはここなんです。何と言っても踏んだり蹴ったりじゃないですか。看護師13年やって、うまくいかなくなって休んでいたら癌になって。ここまできたら、もう一旦病院やめようって思いました。それで嫁さんにやめたいんだよねって話をしたら、「じゃあ最後に一回だけ戻ってごらん。それで駄目だと思ったらもうやめていいよ」って言ってくれました。
僕は一般病棟はまだ行った事がなかったから、最後は一般病棟に行ってみようと思って整形外科に行ったんです。整形外科は行ってみるとめっちゃ楽しかったんですよ!僕は大学院で痛みの研究をしていました。その知識を生かしてリハビリのサポートが出来ました。
自分が今まで学んできたことが実際に目の前で看護として実践できた時に、すごく感動しました。赤ちゃんが生まれた時とはまた違う感動がありました。整形外科の看護は大好きでした。僕もこのままいけるかもって思って2週間。でももう3週間目で結局やめました。
結局最終的に僕がまた逃げ出してしまったのは、そこにいたおつぼねさんのような、僕の中で受け入れがたい看護師さんでした。NICUでの経験がフラッシュバックして、怖くなってしまいました。利用者さん・患者さんの前ではすごく楽しかったのですが、看護師と一緒に働くっていうことがものすごくストレスに感じていて。やっぱり辞めたいってその日の夜に言いました。そして病院を辞めました。
6.今のお仕事について
ー現在は、看護×デザイン事務の「and.NURSING.」を立ち上げ、ハゲかっこいいを発信するメディア #NOHAIRS のライターや #ハゲアート も手がけていらっしゃるそうですね!病院退職後からどのような過程があったのでしょうか。
病院退職後、看護師ではなくても働く道はありました。でも、「看護師でも病院の外で生きていける方法があるんじゃないか」っていうところを探して、発信していきたいと思っています。
webデザインやプログラミングを勉強をするなど、色々試していく中で自分の中で一番人が反応くれたのがデザインだったんですよね。それをtwitterとかInstagramで作品を挙げていき、デザイナーを名乗るようになりました。

とおやまさんの作品(とおやまさん提供)
僕の看護師→うつ→デザイナーの経歴に興味を持ってくれる人がいて、イベントなどで多様な働き方をする看護師たちに出会いました。その方達が、看護師として違う働き方をするにあたって名刺を必要としていました。
僕は、デザインのクオリティーはプロじゃないけれども看護師が何を作りたいかってことは他のデザイナーよりは近く気づけるんじゃないかなって、感覚は近いんじゃないかなって思いました。それで作らせてもらったりとかする中でなんとかお小遣い程度にはデザイナーの方で稼げるようになったんですよね。フリーランスとしてやっていく中で面白かったのがやっぱり看護をしたくなったということです。
看護師のバイトでも探そうかなと思っていたところ、新しいお仕事の誘いがありました。
名刺デザインを受注していった医療関係の人にいつも通りヒアリングをしていた時のことでした。僕なりに話を聞いていったら、聞き方がすごく看護師っぽかったそうです。「とおやまさんは人の話を聞くことや人の話をまとめたりすることが上手だと思いますよ」って言われました。問題を抱えている訪問看護ステーションがあるんだけれど、そこの事業改善に入るのは興味ないですか」って言うお誘いをいただいたんです。
そしてそのステーションに入りました。最初はその訪問看護ステーションの改善チームのようなものに呼ばれて入ったのですが、僕が入った二日後に管理者が辞めていなくなってしまい、、、。このままだとこの訪看がなくなってしまうとなり、僕やりますって言ってそこの所長になりました。今はそんな感じでそこの訪問看護のマネジメントをしています。
あとは、今準備中なんだけど僕今度、会社をつくるんです。
訪問看護師向けにフィジカルアセスメントのトレーニング、企業向けのベビーシッターサービス、看護師の病児保育、周産期の奥さんをもつお父さんたち向けの教室など、看護師時代の知識経験と繋がる依頼が入ってきています。

訪問入浴ボランティアの様子。コロナで施設が閉鎖し、お風呂に入れなくなった高齢者や傷病者の方向けに、ボランティア活動をしているそうです。(とおやまさん提供)
ー様々な活動をされていますね!お仕事をする中で心の支えにしていることや、リフレッシュ方法はありますか?
心の支えは嫁さん!命の恩人だから。
リフレッシュ方法の一つは溜め込まないことだと思います
パートナーに愚痴は全然こぼしていいんだけど、多分、医療者じゃない人に看護師の愚痴こぼしてもなかなか分かってもらえないから、ちょっと言い方を変えて相手が分かるような感じで愚痴るとか話すことは必要ですね。あとは看護師仲間と飲みましょう!
7.「俺の仕事全部看護」
twitterの友達でシーサーっていう人がいて、シーサーは「俺の仕事全部看護」って言いました。僕もそうなんですよ。僕の仕事全部結局看護やってるにすぎないと思っています。どの仕事も看護に当てはまります。僕にとっての看護は、その人がその人らしく生きる、または死ぬための行動を、専門的な知識や技術を持ってなす専門家だと思っているんですね。
僕の看護師としての生き方はそこに集約されるような気がして。病院とかクリニックとか訪問看護ステーションの中で雇われて生きるだけではなく、看護師の新しい価値観というか仕事の価値観を生み出せないかなと思っています。
8.看護学生へのメッセージ
看護が好きでも嫌いでもいいから、まずは1回看護師を経験してみてほしいと思います。苦しんで続けることではないから辞めても良いと思いますが、何も経験せずに辞めてしまうのはもったいないくらい看護師って面白いですよ!
NICU時代の恩師の言葉で、印象深いものがあります。
「NICUに入院した赤ちゃんにとってNICUで過ごす時間は、人生の最初の1ページ目にしか過ぎない。でも、その1ページがなければ人生は始まらない。看護師は、そのプロローグを記すための手助けをする貴重な存在なんだよ。」という言葉です。
人の人生が一冊の本だとしたら、生まれてきた瞬間はプロローグのようなもの。その時間は少ないけれど、それがないと始まらないんです。看護師はその人の本の、人生の一部になれるくらいの存在である、という意味です。
言われてみれば、例えば自分で人生について本を書こうとした時、入院して離床したとき最初の歩行を支えてくれた看護師さんや、パニック発作を起こした時にそばにいて助けてくれた看護師さんのことのことは書くかもしれないなぁと思いますよね!看護学生であるあなたも、将来その一人になれるかもしれません!
必ずその人の人生の中で登場してくる登場人物になりえるぐらいの使命と役割がある仕事だからその醍醐味を感じてほしいなと思いますし、それは看護の素敵な所だと思います。学生さんにはそこを味わって欲しいなって思っています。
とおやまさん、ありがとうございました!
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